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Cacti
錦松 銘 「荒鷲」
この、錦松 「荒鷲」は、戦中・戦後はある意味でとても有名な樹であった。というのも、昭和16年、中野忠太郎氏が二万円という一樹としては当時の日本の盆栽界では最高額といえる値段で落札し、それを三大新聞が大々的に報じたからである。
山採り錦松としては稀な幹模様を有し、その樹形から、戦時下ということもあって「荒鷲」という銘が冠されたものであろう。
戦後、文相・佐藤正純氏の所蔵時代があったのだが、昭和30年代の同氏没後の管理が悪かったため大きくフトコロ枯れしてしまったので、初代大柏園園主高橋秀佳によって引き取られ、フトコロ枝の全面的な接ぎ替えを施して上記の写真のような姿に復活することができた。

錦松 荒鷲 (昭和29年頃)
・昭和30年10月14日に安藤正純翁が逝去せられる前の荒鷲の写真
・その後の売り立てで、先代園主高橋秀佳が東京にて購入する。
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昭和13年(1938年)
第9回 国風展出品時
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